童門冬二著「小説石田三成」
2006-09-28 Thu 01:24




「乱世光芒」の後に読んだ本。小説と銘打ってはいるけど、完全に小説というわけでもない。作中には史実にあった出来事を現代と比較して、これはこうだと説明している部分あり。箇条書きで出来事や起こったことを羅列していて、経過がわかりやすい。
小説としてみるなら物足りないけど、でも読みやすいし、どんどん読める感じですかね。賤ヶ岳の戦いでの三成の活躍などを初めとして、三成がこのときは何をしていたのかがわかる。いわゆる福島正則を筆頭とする賤ヶ岳の七本槍には、実は一番手柄を立てた三成や大谷吉継も入るのではないか、(実際は九本槍。しかし関ヶ原で西軍が負けて二人の名前が消された)等々の考察もなるほど、と思う。

お話は三成が捕らえられて大阪に行くまで、途中に秀吉に見出されて朝鮮出兵まで、ラスト柿のあれ;;

「乱世光芒」でもそうだったけどこっちでも泣きました。でも最後に救われた気がするので、もし機会があれば読んでみて下さいね。

以下ネタばれにつき隠してます。気になる方は続きをどうぞ。









・主人の給与は家臣のために使い果たす。

以下本文より抜粋。
三成はもともと、
 「主人からいただく給与を残すのは不忠者だ。全部使い果たさなければならない。それも、いい家臣を養うために使うのが最もいい。自分の暮らしなど、贅沢をすべきではない」
 と言っていた。 だから、彼の拠点である佐和山城の構築も、いたって粗末なものだった。 関ケ原の大勝後、東軍の大名たちは先を争って佐和山城へ押し寄せた。城を落としそ中に侵入した。
「石田三成はまがりなりにも、豊臣政権の五奉行の一人だった。さぞかし財宝を準えそいることだろう」
 そう思い、城を落とした後は、部下たちにその財宝を配分しようと考えたのである。 ところが、城に踏み込んでみると、何もなかった。ないどころではない。諸大名たちは呆れた。三成の城内は、彼の住んだ本丸にしても床は板張りであり、それも粗末な材木が使われていた。徹底的に漁ったが、何もない。大名たちは顔を見合わせた。
「奴がふだん言っていたことは本当なのだ」
 つまり、
「主人からもらった給与を倹約して、自分のためにため込むようなのは武士の風上にも置けない。いただいた給与は、全部主人のために使い果たすべきだ」
 ということを、三成は本当に実行していたのである。

以上。初めのほうにこのくだりがあるのですが、切なすぎて泣きました。
左近召し抱え時に碌の半分を与えるってのも、この考えあってのことですか。

・えぴろーぐ。秀吉&三成主従の復活。読んでて泣いた。
でも自分的には救われました。こういったお話の余韻は大好きです。
たくさんお世話すると良いよ、三成;;

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